競馬

ちょっとした、競馬の話『真夜中の甲州街道でスマートオーディンを想う』

「で、いくら買ったの?」

「いや、大丈夫」

「なにそれ」

 

妻の問いに答えない私。
それはそうだ。
全て自分の財布でやってること。
答える義務など、どこにもない。

 

 

ダービーを水道橋のWINSで観戦したのは、ちょうど10年ぶり。

あの時は67万円を超える払い戻しに、二つ折りの財布が上手く折り畳めずに困り果てたものだが。

 

今は違う。

逆に清々しいくらい有り金勝負に敗れ、財布に入っているのはSuica1枚。

 

言えない。
絶対に言えない。

いくら家計に無関係のところでやっているとはいえ、8万円も負けただなんて口が裂けても言えるわけがない。

 

マカヒキとサトノダイヤモンドのマッチレースとなったこの年の日本ダービー。
私はそんな火の出るような叩き合いを、半ば失神しながら眺めていた。

 

8万・・・

おれの8万・・・

 

10年前はこのウインズで、7万を67万に増やしたのだが。
それは言ってしまえば、負けても大丈夫な勝負だった。

10年前は独身。
今は既婚者。

独身の7万円と既婚者の8万円。

この意味合いは大きく違う。
大げさでなく、貨幣価値としては桁が1つ違うと言ってもいいくらいである。

 

この日の本命はスマートオーディン。
毎日杯、京都新聞杯と連勝して挑むダービー。
このローテーションは言わずもがな、2013年のダービー馬『キズナ』のパターン。

というよりも、昨年秋の東スポ2歳Sを勝利した段階で決めていたのだ。

「この馬がG1に出てきたら、必ず買う」と。

 

よくない。
こういうのは本当によくない。
直近のトライアルレースならまだしも、半年以上前に決めたことなど守るべきではないのだ。

そこに、8万。
もう本当に頭が悪すぎて目も当てられない。

 

 

夜は同級生がシェフを務めるイタリア料理店に行くことになっている。
正直なところ、負け過ぎて食欲どころではないのだが、予約もしてしまっているし仕方がない。

何より訝しげな表情を浮かべる妻の手前「8万負けたからイタリアンどころではない」などと言えるわけがないのである。

 

 

それにしてもいいレースだった。
上位人気3頭によるワンツースリー決着。
特に勝ったマカヒキと2着サトノダイヤモンドの追い比べは、非常に見応えがあったに違いない。

「あったに違いない」などと言っているのは、もちろんそんな感情など1ミリたりとも持ち合わせていないからだ。

さすがに8万円も負けたとなれば、優雅にレース回顧などしてる余裕はない。

 

引用 www.youtube.com

 

同級生が腕を振るう料理は、それはそれは美味いものだった。
あんなにクソガキだった奴が、こんなにもいい仕事をするなんて。
人はどうなるかわからないものだ。

それでも実際はもっと美味いはず。

なぜなら飲み食いしてる間も、直線で伸びそうで伸びないスマートオーディンの姿がずっと頭に浮かんでいたから。

これではせっかくの料理の味も半減である。

 

 

案の定、この日は酔っ払った。
元々得意でないワインに加え、8万負けという悪酔い要素もあるから当然と言えば当然だ。

 

店を出て、新宿に移動して2軒目。

 

そこを出た時に、再び聞かれた。

 

「で、いくら負けたの?」

 

酔っ払っていた私は、少しふざけるようにこう言った。

 

「8万だよ、8万。今までコツコツ貯めた競馬貯金、全部なくなっちゃったわ。また一からやり直しだー!」

 

「は?」

 

「え?」

 

「8万円も買ってたの?」

 

「そうだよ。自信あったし」

 

「何それ信じられない」

 

「でもダービーだから」

 

「ダービーだからって何?」

 

「ダービーってそういうものなのよ」

 

「もう本当に信じられない。バカなんじゃないの?」

 

「でも全部俺のお金だよ。家のお金には手をつけてない」

 

「そういう問題じゃないでしょ!もう嫌だ!」

 

完全に怒りの導火線に火がついた妻は、私を置いて足早に駅へと走っていった。

 

「ちょっと・・・!」

 

「来ないでよ!」

 

あーあ。
面倒くせえ。
ならもういいや。

ていうか、なんか疲れたなー。
ちょっとだけ座っていこう。

たまたま近くにあったベンチに腰掛ける。

 

 

気がついた時には午前2時を回っていた。

 

「・・・あれ?ここ、どこだ?」

 

苦手なワインで酔っ払い、その上8万負けというダメージを負っている人間がベンチに座ったらどうなるか。

99.9%寝るに決まっている。

 

あー、やっちまった。
タクシー乗るにも金がない。

 

・・・歩くか。

新宿と府中を結ぶ甲州街道。
長い長い道のりをとぼとぼと歩き始めた。

 

まだ初台。
やっと笹塚。
ようやく明大前。

遠い。
これは想像以上に遠いぞ。

 

元タクシー運転手という経歴を持つ私。
夜中の甲州街道など、乗務のたびに必ず走っていた道なのだが。
車と徒歩ではこうも違うものかと痛感していた。

 

山手通り、中野通り、環七通り。

交差する幹線道路の順番、頭では分かっていても距離感が全く掴めてない。
車ならすぐなのに。

 

高井戸を過ぎた辺りで空が明るくなってきた。
と、同時に雨がポツリポツリと落ちてきた。

その雨は、程なくしてどしゃ降りになった。

もう雨を避ける気力もない私。
ただひたすらに歩くのみ。

 

傘をさしたスーツ姿の人が増えてきた。
バス停に出来ている行列の横を、傘を持たない男がずぶ濡れで歩いていく。

もちろん、視線を感じる。

この時の私は傘を持っていないだけでなく、珍しくかぶっていた小洒落た麦わら帽子に半袖短パン。

挙げ句の果てにはサンダル履きという、完全なるモンキー・D・ルフィ仕様だったのだ。

窓ガラスに写ったそのずぶ濡れ姿は、奇妙を通り越して哀れなレベル。

 

伸びないルフィは、ただの負け犬。

 

どうしてこんなことに・・・。

全てはスマートオーディンが悪いのか。
戸崎圭太が悪いのか。

いや、自分が悪い。

「ずっと前から決めていた」などという不確実過ぎる理由だけで8万円もぶっ込んだバカが悪いのだ。

 

 

家に着いた時には6:30を回っていた。

「始発待ったの?てか、なんでそんなに濡れてるの!?」

怒りを通り越して呆れているのが分かる妻の一言に「うん、歩いたから」とだけ答えて浴室へと入った。

 

そうか。
始発まで待ってたら、濡れずにもっと楽に早く帰れたんだ。

時間を戻せるのなら、歩き出す前に戻したい。

いや。

馬券を買う直前まで戻したい。

 

30回近く見ているダービーの中でも、最もほろ苦い思い出。

 

 

【第83回 日本ダービー】
2016年5月29日

1.マカヒキ 川田将雅

2.サトノダイヤモンド C.ルメール

3.ディーマジェスティ 蛯名正義

4.エアスピネル 武豊

5.リオンディーズ M.デムーロ