昭和63年10月17日に10歳になったクソガキは、平成と名付けられた世界を駆け回っていた。
ファミコン、ドッヂボール、コロコロコミック、ミニ四駆、ビックリマンシール、志村けんのだいじょうぶだぁ etc…
元号は変われど、やることは変わらない。
クソガキはクソガキのまま。
それでも、少しずつ大人に近づく。
そんな思い出話。
「なあなあ、◯◯◯って言葉知ってる!?」
「え?なにそれ!知らない!!」
「俺も知らない!」
「俺もー!」
「兄ちゃんの友達に教えてもらったんだけどさ、どういう意味かは教えてくれないんだよね」
「えー、なにそれ」
「◯◯◯、気になるじゃん」
「◯◯◯!◯◯◯!」
初めて耳にしたその3文字。
とてつもなく隠微な雰囲気を感じ、なぜだかわからないけどとても魅力的に思えた。
そのためその日は、教室内や校庭、下校後の駄菓子屋や公園などで連呼しまくっていたことを覚えている。
数日後。
クソガキ揃いの中でも、屈指のスーパークソガキだった森野がみんなを集めた。
「この前の◯◯◯って言葉、あったじゃん」
「あー、あったねー!」
「おれ、聞いたんだ」
「誰に?」
「お母さんに」
「うっそ!すげー!なんだった?教えてもらえた?」
「いや、引っ叩かれた」
「え??」
「なんで??」
「わかんねーけど『◯◯◯って何?』って聞いたらいきなり叩かれた」
「うっそ!」
「超こえー!」
「あぶねー!おれも聞くところだったよ!」
「やめた方がいいよ。叩かれる」
この森野という男。
後に大いなる不良少年へと変貌するのであるが、この時からその片鱗は見せていたと言える。
他の連中はクソガキながらに「親に聞いてはいけないこと」と、なんとなく察していたわけだが。
森野は違う。
行くやつなのだ。
勇気があるとか度胸があるというのもあるのだろうが、とにかくバカなのだ。
でもいい奴。
不良になってもいい奴。
それこそが森野。
世の中には、触れてはいけない箱がある。
この”森野事変”によって学んだはずのクソガキたちだったが、それによって招いたもの。
皮肉にもそれは、謎の三文字へのさらなる興味。
知りたい。
とにかく知りたい。
言いたい。
ところかまわず言いたい。
叫びたい。
◯◯◯が好きだと叫びたい。
僕らは叫んだ。
ところかまわず叫んだ。
◯◯◯ー!
◯◯◯ー!
◯◯◯ー!
こんなクソガキがうろうろしていた、あの頃の新町1丁目付近は地獄だったと思う。
1軒1軒土下座して回りたい。
そしてついに、そんなクソガキたちに鉄槌が下される時が来る。
学校内のクラブ活動。
運動系、文化系。
何かしら1つに所属をして、週に一度活動するもの。
確か金曜日の6時間目だったと記憶している。
私は卓球クラブに入っていた。
もちろん、三文字同盟の連中も同じく。
「サー!」も「チョレイ!」も世に出るずっと前。
僕らは「◯◯◯!」と叫びながら卓球に興じていた。
もちろん顧問の先生の目を盗みながら。
この頃の僕らはもう、薄々分かっていたのかもしれない。
◯◯◯という言葉が、どのような意味を持っているのかということを。
その日の活動は、複数のグループに分かれて自由に大会をやりましょう。というものだった。
それぞれのグループが教室の黒板にトーナメント表を書き、試合形式で卓球を楽しんでいる。
普段と変わらぬメンバー。
やりなれた卓球。
それでもちょっとしたことがスパイスとなり、いつも以上に面白く感じるというものだ。
もちろん我々のグループも楽しんでいた。
バカではあったが、卓球は純粋に好きだったから。
そんな中。
「はい!みんなちょっと集まってー!」
顧問の恩田先生の声が響き渡る。
クソガキながら、その声に怒気が含まれていたことは容易に察することが出来た。
「誰?これ書いたの」
恩田先生が黒板に書かれたいくつものトーナメント表の中の1つを指した。
我々の表だった。
「あなたたちでしょ?これ書いたの、誰?」
そこに書かれていたのは、あの三文字だった。
トーナメントに名を連ねている松尾くん。
平仮名で『まつお』と書かれているところ、下の二文字がご丁寧に修正されていて、見事な『ま◯◯』が完成していたのだ。
ちなみに対戦相手は、この私。
『こぼり VS ま◯◯』
という理解不能な対戦カードが組まれている。
これは耐えられない。
耐えられるわけがない。
我々は笑いをこらえるのを諦め、一斉に笑い出した。
その笑いは他のグループにも伝染し、教室中が大爆笑に包まれた。
「いい加減にしなさい!!!!!」
恩田先生の怒りが爆発した。
それと同時に、平手打ちが炸裂した。
平成最後の年にこんなことをしたら体罰扱いとなり、大変な問題なのだろうが。
平成最初の年には何の問題も無い。
しかし、たった一つだけ問題があった。
引っ叩かれたのは『まつお』改め『ま◯◯』だった。
先生の一番近くで笑っていた我々グループの一員ということでターゲットになったようだが。
これにはさすがのクソガキも「ひでえことしやがる」と軽く引いた。
名前を『ま◯◯』に書き換えられた挙句、怒鳴られて引っ叩かれる。
怒涛の3連コンボに教室内は静まり返った。
「それじゃあ、他のみんなは続けて。あんたたちはこっちに来なさい」
我々グループは別の空き教室に連れて行かれ、恩田先生にこう指示された。
「誰が書いたか明らかにしなさい。絶対この中にいるはずだから」
それだけ告げると、恩田先生はクラブ活動が行われている教室へと戻っていった。
残された、◯◯◯グループ。
史上最低の会議が始まった。
「誰だよあれ書いたの?」
「知らないよー」
「トーナメント表を書いてたのお前だよな?」
「いや、そうだけどさー。でもオレじゃないよ」
「まつお、自分でやったんじゃないの?」
「やるわけないだろ!森野だろ?」
「いや、ちげーよ。俺もう叩かれたくないし」
もちろんおぼろげな記憶なので、こんな感じだっただろうなぁ程度で書いているのだが。
ここから先の展開はハッキリと覚えている。
「あのさあ」
「なに?こぼ?こぼが書いたの?」
「いや、違うんだけどさ」
「なに?」
「こぼり VS ま◯◯って、すごいよね」
「こぼり対ま◯◯?」
「こぼ、ま◯◯と戦うの?」
「嫌だよ!なんでだよ!」
「ふふふ」
「あはは」
「あは!あははは!あはははは!」
「おもしれー!おもしれー!」
「こぼ、ま◯◯と戦うんだ!すげー!!」
「戦わねーよ!!!」
「どうやって戦うのー!?」
「わかんねーよー!」
「わは!わはは!わはははは!」
クソガキ特有の急なテンションアップ。
1速から3速くらいまでは上がった気がする。
それでも『今は怒られている最中』という自覚があったのか、まだ遠慮はしていた。
他のみんなもそうだったと思う。
ただ、そんな中。
1人爆発的にテンションが上がってしまい、トップギアに達した奴がいた。
森野だ。
ま◯◯を母親に聞いて引っ叩かれた男、森野。
THE・クソガキ、森野。
Mr.ま◯◯、森野。
こうなった森野は、もう誰にも止められない。
完全に臨界点を突破したのか、奇声をあげながら三文字を連呼している。
最初は「おいおい、また怒られるよ」という空気だった我々も、森野の清々しいまでのバカっぷりに乗せられ教室内を走り回り始めた。
「うひゃー!」
「ひょー!!」
「きえー!!」
「◯◯◯ー!!」
「まつおー!!」
「◯◯◯ー!!」
「こぼり VS ◯◯◯ー!!」
「こぼり◯◯◯ー!!」
「◯◯◯ぼりー!!」
とても怒られている最中だとは思えないほどの雰囲気。
とにかく楽しくて楽しくて頭がおかしくなりそうだったことを覚えている。
そしてここで森野、格の違いを見せつける。
おもむろに体操着のズボンと純白ブリーフを脱ぎ捨て、こう叫び始めた。
「ちん◯!◯◯◯!ちん◯!◯◯◯!」
対義語を交互に叫ぶ。
そしてそのリズムに合わせて腰を振り、森野の森野が左右に揺れる。
もうダメだ。。。
笑い死ぬ。。。
薄れゆく意識の中、最後に目に入ったのは揺れ続ける森野の森野。
そして聞こえ続ける三文字&三文字。
お腹がよじれる。
これで死ぬんだな。
でも森野に殺されるなら本望だわ。
と、その時。
ガラガラガラガラ!!!
「あんたたちー!!!!!」
気がついた時には腕を掴んで無理やり起こされ、強烈な平手打ちを浴びていた。
痛い。すげー痛い。
頬の痛みと同時に視界に入ったのは、再び引っ叩かれている松尾。この日2発目。
そして森野の森野が露わとなっている森野は、そのままの状態で現行犯逮捕。
「ちがう!ちがう!」という声も虚しく、黒板の一件も森野による犯行だと断定された。
仕方のない話である。
平成が終わろうとしている今、あの頃10歳だった我々は40歳。
あの三文字を大声で叫ぶことも、もうさすがにない。
森野や松尾と顔を合わすことは無くなったが、どうやらまだ生きているというのは風の噂で耳にした。
決して責任ある立場に就いていないことを、心から願うばかりである。
そして森野。
ごめん。
黒板に書いたのオレだわ。
何かの間違いで、これを見てくれることを願って。