3000文字チャレンジ

『昭和53年生まれの月曜日』3000文字チャレンジ第8弾

どうも。
本厄ブロガー、こぼりたつやです。

 

3000文字チャレンジにおいて、この書き出しは初めてですね。

今回はちゃんとしたやつ。
タモリは出ません。

 

さて、私は昭和53年10月生まれ。
めでたく40歳となりましたので、今年は本厄。
色々あるらしいですね。

 

しかーし。

 

私はそういったことに無関心&無頓着でございますので。
厄払いやお守りなど、一切無しのノーガード戦法で挑みます。

なんなら言われるまで気付かなかったし。
普段は忘れて暮らしてます。

 

さて。
そんな本厄野郎の月曜日にまつわる話。

私は大学生のバイト時代から、20年以上接客業に従事しておりますので。

いわゆる『月曜日の憂鬱』とは無縁なのであります。

 

あ、でも!

さすがにサラリーマン時代は辛かったです。

前の日なんかはサザエさん症候群どころか、15:40のメインレース(競馬)が終わった瞬間に具合悪くなってました。

笑点症候群よりも早いです。
そりゃ1年で逃げます。

 

そんな私の月曜日。

いくつか振り返ってみましょう。

 

 

昭和63年の月曜日

東京ドームが完成し、ドラゴンクエスト3が社会現象となり、ケンちゃんラーメンが正真正銘の新発売だったこの年。

私は小学4年生になりました。

ファミコンと読書とキャベツ太郎をこよなく愛するクソガキです。

 

そんなクソガキにおける曜日の分別。

 

それは、テレビです。

 

お気に入りの番組が放送される日=好きな曜日

単純なものです。

 

私より年上の方にとっては『歌のトップテン』の月曜日であり。

私より年下の方にとっては『HEY!HEY!HEY!』の月曜日であるのでしょうけど。

 

私にとっては、

『志村けんのだいじょうぶだぁ』

このための月曜日でした。

 

所かまわず “変なおじさん” のマネをしては、狂ったように笑ってました。

掃除の時間には、ほうきでちりとりを叩きながら。

「だ〜いじょうぶだぁ〜」

なんて歌ったりね。
あの3連太鼓が欲しかった。

 

あとはもう、石野陽子がかわいくて。
松本典子よりも好きでしたけど、やっぱり石野陽子。

同じフジテレビバラエティー『とんねるずのみなさんのおかげです』で活躍していた、渡辺満里奈と同じくらい好きでした。

月曜日に石野陽子を見ては、石野陽子が好きになり。

火曜、水曜、木曜と石野陽子モードで過ごして。

そして木曜日の21:00に渡辺満里奈をみると、やっぱり渡辺満里奈だ!と。

そんで金曜、土曜、日曜と渡辺満里奈モードで過ごすのであります。その繰り返し。

 

ちなみに、この年の月9ドラマは『君の瞳をタイホする!』とか『教師ビンビン物語』とか。

昭和63年の月曜日は、そんな感じ。

 

いつかタイムマシンが完成したら覗きに行きたいですね。

クソガキだった私の、月曜日の過ごし方。

 

 

平成5年の月曜日

Jリーグが開幕し、逸見さんがお亡くなりになり、『YAH YAH YAH』が大ヒットしたこの年。

私は中学3年生になりました。

スーパーファミコンとダウンタウンとキリンレモンセレクトをこよなく愛する中坊です。

 

そんな中坊における月曜日。

 

それは、学校に行ける!という楽しさです。

どういうわけか中3の時。
毎日毎日、学校に行くことが楽しくて仕方なかったのです。

受験勉強の記憶なんかは一つもありません。

 

なので日曜日の夜には

「明日、学校だーー!!」

などと、中3らしからぬワクワク感を抱いてました。
どうかしてますね。

ガキ使見て、深夜の全日本プロレス中継を見て。
完全なる寝不足にも関わらず元気に登校してました。

 

「ははーん、好きな子に会えるのが嬉しかったんだな?」

と言われると、そうなのかな?って思いながらも決してそれだけじゃない。

なーんか、楽しかったんです。

 

この頃から『誰とでも仲良くする』という能力が全開だったため、男女・真面目ヤンキー分け隔てなく仲良くしてました。

そのおかげですかね。

 

「この曜日はこれ!」というよりは、毎日が楽しい。そんな1年だったと思われます。

ちなみに、この年の月9ドラマは『ひとつ屋根の下』とか『あすなろ白書』とか。

 

平成5年の月曜日は、そんな感じ。

 

いつかタイムマシンが完成したら覗きに行きたいですね。

能天気な中坊だった私の、月曜日の過ごし方。

 

 

平成11年の月曜日

携帯電話の番号が11桁になり、チョコエッグが大ヒットし、だんご3兄妹が街中で流れまくったこの年。

私は2度目の大学2年生になりました。

プレステと麻雀と女の子が大好きな、ウェイウェイ系大学生です。

 

そんな金髪クソ野郎にとっての月曜日。

 

それは、遊びです。

この時の月曜日は、まず間違いなく昼過ぎまで寝てました。
なぜなら前の日に飲み過ぎてるから。

土日は競馬場でバイトしていて、その仲間たちと必ず飲みに行ってたのです。必ず真夜中。

 

そして留年しておきながらも『自分の時間割が分からない』という、ど底辺スタイルのままでしたので。

気が向けば学校に行ってみる。
気が向かなければプレステをする。

そんな月曜日でした。

 

学校に行くとサークルの仲間が誰かしらいますので。

その時その場にいるメンバーによって、麻雀に行くか飲みに行くかボーリングに行くか。みたいな。

要は、遊ぶ人を探すために学校へ行く。

そんな感じでしたね。

 

まあこれは、火曜日でも水曜日でも木曜日でも同じでしたけど。金土日はバイト。

ちなみに、この年の月9ドラマは『リップスティック』とか『氷の世界』とか。

もはやタイトルすら記憶にありません。

 

平成11年の月曜日は、そんな感じ。

 

いつかタイムマシンが完成したらぶん殴りに行きたいですね。

最低な大学生だった私の、月曜日の過ごし方。

 

 

平成16年の月曜日

ヨン様フィーバーが巻き起こり、世界の中心で愛を叫ぶがベストセラーとなり、北島康介の「チョー気持ちいい」が日本に感動をもたらしたこの年。

私はタクシー運転手になっていました。

プレステ2とお酒と孤独が好きな、26歳です。

 

そんな若きタクシードライバーの月曜日。

 

それは、売り上げとの戦いでした。

とにかく月曜日は暇で。
まず飲みに出る人が少ない。

夜の銀座を主戦場にしていた私。

いつもより多くの空車タクシーがずらりと並ぶ中で、どうやってお客さんを乗せるか。
とにかく四苦八苦しておりました。

 

そして深夜1時になると、毎週楽しみにしているラジオ番組『伊集院光 深夜の馬鹿力』が始まるので。

そこでもう、店じまい。

 

「もうやーめた。これ聴いて番組終わったら会社に帰ろうっと」

 

1995年の放送開始以来10年以上聴き続けている番組。

気が向いた時にネタハガキを投稿してみては、何度か読まれたりもしたのです。
これは何一つとして誇ることのない、私の人生においての数少ない自慢の一つ。

初めて読まれた際の放送を録音していたカセットテープは、文字通り擦り切れるほど繰り返し聴きまくり。

擦り切れた後もセロハンテープでくっつけて、さらに何度も何度も聴いたほど。

最後にはカセットテープが「もう勘弁してくれ」と根を上げたかのようにぐちゃぐちゃになってしまい、ゴミ箱へ。

 

 

 

 

「おれ、この先どうなるんだろうなー」

 

伊集院光の軽妙なトークからCMに入ると、そんなことを考えることが多かった。

 

真っ暗な車内。
先の見えない未来。
誰もいない環境。

 

大学卒業後に入った会社を1年で逃げるように辞め、駆け込み寺のように入社したタクシー会社。

 

死ぬまで1人で生きていこう。
別に誰もいなくていいや。

そう決めた私。
自分から孤独を愛することに。

 

そうなるとこの仕事、本当に孤独。
周りには誰もいなくなります。

そしてそれが、どんな環境よりも快適。

 

都内の道どころか、東京駅も渋谷も新宿も分からずお客さんに怒鳴られていた毎日。

後ろから椅子を蹴られ、いわれのない説教を聞き、車内で吐かれた吐瀉物を手で掃除し、職業差別を超えた人格否定のような言葉まで浴びせられる仕事。

「自分が選んだ道だから」というのは強がりでもなんでもなく重々承知していたため、良くも悪くも「そんなもんだ」と納得していました。

 

そして、道も覚えて自分なりの接客スタイルも確立して売上もそれなりに上げていき。いつしか、

「この仕事、楽しい!」

心からそう思えるようになっていたのです。

 

 

それでも嫌になる時はある。

 

若いイケてるサラリーマンから理不尽な言葉を浴びせられ。

何をやってるかは分からないけど稼いでそうな人からは延々と自慢話を聞かされ。

思わず息を飲むような美しい女性には、まるで汚物を見るような目で見られる。

 

今の『サラリーマン・フリーランス論争』が、ちゃんちゃらおかしくなるくらい。

 

 

私は両方から滅多打ちにされていた。

 

 

 

 

「なんでこんな仕事してるの?」

「若いのに変だよね」

「両親、泣いてるよ」

「まさか大学なんて行ってないよね」

「社会の底辺だな」

「えー!若い!超ウケんだけど!」

 

 

社会的地位は自分が一番わかってる。

合コンなんか鼻で笑われるだけ。
二度と行かないから世の女性は安心してくれ。

 

それでも。

 

そんな言葉は一生懸命仕事してる人間に向かって言うことじゃない。

 

 

もう、誰にも期待しない。

 

 

 

そんなことを考えていると再び伊集院光の声が聞こえて来て、心は凪いていく。

 

 

 

 

いつかタイムマシンが完成したら、このタクシーに乗りに行きたい。

 

そしてこう言ってやるのです。

 

「2019年の月曜日は、それなりに幸せにやってるぞ。一人じゃないぜ!」って。

 

 

 

さて。
次の月曜日は、何をしようかな。